オフポンプ冠動脈バイパス術
~早期離床,早期退院を可能にした低侵襲心臓手術~

図1 心臓は1日10万回、3年で1億回、休みなく拍動しています。人間の生命を維持するためには、本来心臓は一時も休む(拍動を止める)ことを許されない臓器なのです。しかし、心臓を手術する時は、当然心臓を一時的に止めなくてはなりません。

この間(通常2-3時間、長くても5-6時間)、心臓と肺の本来の機能は人工心肺(別名:体外循環)という人工臓器によって代行運転されているのです。すなわち、具体的には心臓の右心房に太い管(カニューレ)を入れて、心臓に入ってくる静脈血を全て抜き取ります。それを一度リサバーと呼ばれる容器に入れ、そこから人工心臓(遠心ポンプ)で血液をくみ出し、人工肺に入れて酸素加し、動脈血として大動脈にカニューレを通して戻す、という仕組みで人工心肺は運転されています(図1)。

図2人工心肺は近年の人工臓器を取り巻く関連分野、特に機械工学、電気工学、高分子化学などの格段の進歩により、高い有効性と信頼性を持った人工臓器として、広く臨床応用されています。また、体外循環を運転する技師は、臨床工学師やその上の特殊資格である体外循環技術認定士などが責任を持って行うことによって、安全性の面でも著しく向上しています。

しかしながら、人工心肺の使用により、脳血管障害、腎臓障害、出血傾向、重症不整脈、心不全(術中心筋梗塞)などの合併症が、ごく希ながら発生する可能性があります。これらの合併症は不可避的な偶発症ですが、できればこれらを避ける対策を講じなければならないのは当然です。数ある心臓手術のうち、心臓弁膜症、大動脈疾患、先天性心疾患などは、心臓を止めて、心臓を切り開いて、中の血液をなくし、心臓内に直接手を加える手術なので、手技的に心臓を止めなければできない手術です。しかし、冠動脈バイパス術は心臓を止めなくても、なんとか手術が可能です。なぜなら、幸いなことに冠動脈は心臓表面を走行しており、そこにバイパスを吻合するわけですから、心臓を止めて、心臓を切り開かなくても、できるわけです。人工心肺を用いない冠動脈バイパス術(off-pumpcoronary artery bypassgrafting ; OPCAB、通称:オフポンプ冠動脈バイパス術)は1990年代の半ば以降から急速に症例数が増加してきました。世界的にも年率43%で増加しています。昨年の日本冠動脈外科学会が行った全国統計では、本邦の全冠動脈バイパス術の42%がオフポンプで行われました(図2)。

図3 今年の統計ではおそらく50%を越えることが予想され、冠動脈バイパス術の標準術式として、さらに普及すると思われます。このようにオフポンプ冠動脈バイパス術が広く行われる用になった原因は、本手術の適応が最近になって大きく変わってきましたことにあります。当初は人工心肺の使用により有害事象が予想できるような合併症(あるいは既に合併している)を有する症例(いわゆるhigh risk症例)を選択して、この手術の適応としていました。すなわち、脳血管障害、大動脈の石灰化、腎不全、悪性腫瘍、低左心機能、超高齢者(80歳以上)、再手術、低肺機能、免疫能低下、血液凝固異常などです。しかし、手術成績やグラフト開存率の良好な結果、術者や心臓外科チームの習熟度の向上などの理由から、最近ではこれらの合併症の有無に関係なく、全例オフポンプの適応としている施設が増えています。さらには本手術の手術保険診療報酬の上乗せ(オフポンプは通常の体外循環下冠動脈バイパス術の1.3倍)、包括医療保険の適応などの社会的、経済的要因もあって、今後ますますこのような適応拡大を採用する施設が増加することが予想されます。

オフポンプ冠動脈バイパス術の良好な手術成績やグラフト開存率、その有用性などが、最近の報告によって明らかにされています。オフポンプのグラフト開存率は、従来の人工心肺使用冠動脈バイパス術に比べ、同等かそれ以上であるという報告が複数の研究者によってなされています。また、従来の人工心肺使用冠動脈バイパス術後で特に高齢者に少なからず起こっていた術後認識障害(脳内微小塞栓のためといわれている)の発生も、オフポンプでは有意に軽減できたとする報告も数多くなされています。さらに死亡率の低下、輸血率の低減、在院日数の短縮、医療費の削減など様々な有用性が報告されています。

このようにオフポンプ冠動脈バイパス術が優れた有用性をもった術式として広く普及したのは、心臓外科医の手術手技の開発や進歩、その習熟度の向上のみならず、手術周辺機器の進化が大きく寄与しています。すなわち、心拍動を部分的に押さえて術野を安定させるスタビライザー(図3)、心臓の位置を自由に変えられるハートポジショナー(図3)、吻合中の冠動脈血流を維持するシャントチューブ、出血を飛ばして視野を確保するジェットフロー、さらには胸腔鏡、開胸器、ハーモニックメスなどの登場です。さらに血行動態、不整脈のコントロール、体位や換気法などの術中管理をする麻酔科医、その周辺のコメディカルの協力と貢献があってのこの術式の進歩であることは言うまでもありません。

図4 当院(駿河台日本大学病院)では全ての冠動脈バイパス術をオフポンプで行っています。当院でのオフポンプ冠動脈バイパス術の標準的な術後経過を紹介します。手術は吻合するバイパス数にもよりますが、通常約4-5時間かかります。手術が終わり、集中治療室に移るのが午後2-3時ごろです。麻酔から覚めて手術日の夕方には気管チューブを抜くことができ、その後はその日のうちに飲水が可能です。手術の次の日の朝にはドレーン(心臓の周囲に入れたチューブ)を抜き、首に入れた点滴ルートも抜け、午前中には一般病棟に帰ります。その日の午後には歩行が可能で、食事も開始します。その後はリハビリにより体力の回復に勤め、1週間後に抜糸をし、術後平均10日で退院します。

このように、オフポンプ冠動脈バイパス術は人工心肺を使用しないため、出血も少なく、炎症反応、免疫能力の低下もなく、なによりも術後体力の回復が早いため、早期離床、早期退院が可能な低侵襲の心臓手術なのです。

また、当院では全ての心臓手術を原則としてクリニカルパスに則って診療を行っています。クリニカルパスとは、工場で製品を作製する行程ラインのように、全ての診療を行程と見なし、その診療の行程管理を行い、医療の資の保証をしていくものです。具体的には、手術前から手術日、手術後の日程の添って行う予定の処置、投与する薬剤、点滴、検査(レントゲン、超音波など)、採血、食事、リハビリなどを一覧できる行程表を作り、

それに基づいて診療を行っています。患者さんにもこの行程表の分かりやすいもの(患者用クリニカルパス;図4)を配り、入院時にこれを説明し、前もって治療の全容を知っていただくようにしています。

これにより自分が受ける手術の術前術後の経過予測ができ、分かりやすく、安心感が得られると患者さんから好評を得ています。このクリニカルパスにより、医療の適正化、標準化、効率化、チーム医療の育成などの効果のみならず、医療安全の面でも効果が現れています。